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『愛は霧のかなたに』あるのか。

何も考えずに、近所の不登校中学生に観せた映画。

1988年のアメリカ映画である。

中央アフリカ(最終的にはルワンダ)でゴリラの保護を行った、実在の動物学者ダイアン・フォッシーがモデルらしい。
彼女の役をシガニー・ウィーバーが演じている。

パッケージの写真はシガニーがゴリラを抱いて微笑んでいるもの。

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『野生のエルザ』っぽい、ゴリラとの交流を描いた感動ものの動物映画かと思っていた。

観ていると何か違和感が。主人公に全く共感できない。
内戦を繰り返している中央アフリカに入国し、ゴリラの保護に尽力するのは構わない。しかし、現地の人間も生きることに必死であることへの理解が全くない。

密猟は違法かもしれないが、生きるためにやっていることである。

ゴリラには愛を注いでも、内戦の避難民には目もくれないのだ。

そして、ゴリラへの愛が偏執的になっていき、密猟者のみならず現地人にも憎しみを募らせる。密猟者の居場所を白状させるため、現地の子供の首に縄を巻き脅かす。さすがに現地のスタッフも怒り、あなたにそんなことをする権利はないと言われる。それでも反省は無し。

モデルになった動物学者ダイアン・フォッシーは、映画よりさらに酷いことを実行していた。

以下Wikipediaより
自分の調査していたグループのゴリラを殺されたフォッシーはさらに過激になり、次第に科学的な調査よりも密猟反対運動に時間を注ぐようになった。フォッシーのグループは密猟者の罠を破壊するだけでなく、密猟者を捕え、辱め、その家畜を捕えて身代金を要求し、キャンプを焼き払うようになった。地元の警察を脅して法の遵守と自分たちの活動への協力を強要した。

キャンプを焼き払うとか、もう犯罪のレベルであり、滅茶苦茶である。
当時のルワンダは貧しく、周辺の国が内戦を繰り返している状態だった。ゴリラの保護どころか自分たちが生きていくのが精一杯の状況だ。

結局ダイアンは、1985年12月27日、小屋の寝室で斬り殺された。
映画でも同じである。

正直言って「俺が現地人だったらもっと無残に殺してやるのに」と若かった私は憤ったものだ。と同時に、こんな映画を子供たちに観せて申し訳なかったと反省した。

何故か白人はゴリラとかクジラとかに偏執的な愛を注ぐ。
彼らが、自分達より進んだ文明を持ったりしないからだろう。日本人のように。

この映画、日本を舞台に例えるならこんな感じだろう。
南海トラフ巨大地震が発生。和歌山や関西圏では津波と揺れのために大量に死者と負傷者が出る。避難民も何十万人の単位である。
そんな大変な状況の中、イルカ(クジラと同じ種)の保護を目的に学者をリーダーとするグループが入国してくる。
彼らは被災者を助けるどころか、イルカ漁に関係した被災者宅を焼き払い、漁師の子供を人質として捕まえて、これから漁をしないように脅かす。

書いていて、本当に起こりそうで恐ろしくなってきた。

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