アニメ映画『聲の形』は、自死が罪であることを突きつける

アニメ映画『聲の形』は、厳しい映画でした。

障碍者であっても、不幸な境遇であっても、勝手に自殺することは許されない。そのことを突きつけられた気がします。現実と向き合って戦うことが生きることなのだと。

やや、ネタバレも含みます。


映画『聲の形』 本予告

アニメ版『聲の形』のあらすじ

このアニメには原作があります。

ちらっと読んだ記憶があったのだけれど、全体を知らなかったためか、痛そうな内容だな、程度の感想でした。

 

主人公の石田将也が小学6年生だった時から話は始まります。

 

ガキ大将的な彼は、退屈しながらも悪ガキ仲間と面白おかしく毎日を過ごしていた。

そこに聴覚障害者である西宮硝子が転校してくる。

好奇心からちょっかいを出すが、硝子が無理な笑顔を浮かべて、はっきりと自分の意思表示をしないことで、ちょっかいがエスカレートしてゆく。クラスメートもそれに参加するようになった。

 

子供の無邪気な残酷さが恐ろしいまでに描かれます。

 

補聴器を投げて遊び、会話用のノートには罵倒する言葉が書かれる。

 

完全にいじめです。

 

補聴器を何個も壊したことで、いじめは発覚するが、クラスメートは将也だけにその罪を背負わせ、彼がいじめられる側になる。

 

しかも、補聴器の弁償代として、170万円も母親に払わせることになった。母親のことが大好きだった将也は罪悪感にさいなまれる。彼の家は母子家庭だった。

 

高校生になった将也は人間不信から、誰とも話もせず、誰の顔も見られなくなっていた。そんな彼が西宮硝子と再会したことから再び歯車が回り出す。

26分からの食事シーンで、もう泣ける

冒頭から26分からの食事シーンだけで、泣けます。

石田将也と母親、幼稚園児の姉の子、3人が朝食を食べている。

 母親はいつものように明るく接しながら、将也が170万円を返済した後、自殺するつもりだったことを聞き出します。

激怒した彼女と将也のやりとりが切なく笑えます。

 

母親が誤って170万円を燃やしてしまう、コミカルな場面なのですが、笑いながら自分の母を思い出していました。

 

子供の頃に自殺を考えた人であれば、号泣でしょう。

 

母親が、将也の自殺意図に気づいていたこと。補聴器代を償った後、自殺するつもりだったこと。それをはっきりと謝罪しなければ、バイトでためた170万円を燃やすと脅かす場面のあまりに切ないこと。

京都アニメーションと山田尚子監督、恐るべし

劇場ではなく、DVDになってから観たのです。

京都アニメーションはキャラクターや背景が綺麗で、スタッフの気力が伝わってきて結構好きでした。

 

今回は驚きです。山田尚子監督に。

『けいおん!』から5年が経過して、これほど成長したアニメーション監督も珍しい。

障碍者にも遠慮しない作品

このアニメ映画、文部科学省推薦(正確にはタイアップ)になっていますが、ある意味推薦してはいけないアニメーションでは。

あまりに激しく、本質を突いています。

 

障碍者に対する厳しさは、わが身にこたえます。

 

障碍者であっても、いじめられた被害者であっても、勝手に自死することは“罪”なのだと。はっきりと描かれています。

 

とりわけ、植野直花の存在が強烈です。

聴覚障害者の西宮硝子をいじめたうえに、硝子と仲良くしようとした、佐原みよこまでもいじめて不登校にした、いじめっ子の美少女、植野直花 の激しさに打たれました。

 

彼女は「人は何故生きるのか」その本質を知っている人間なのです。

 

激しく嫉妬し、不快な人間にはっきりと物を言い、弱い者いじめもする。しかし、人の痛みがわからないのでも、苦しみと無縁な人間でもない。

 

西宮硝子が、自分の存在によって将也を不幸にすると思い込み、飛び降り自殺しようとするのですが将也に救われます。しかし、代わりに落ちた将也が瀕死の重傷を負います。

 

植野直花は、硝子を殴打し激しく詰め寄ります。

「悲劇のヒロインのつもりか!」と。

植野が影の主人公であったことが、はっきりと前面に現れる凄まじい描写です。

 

生きる価値がない人間であるとか、生きる価値がある者であるとか、決める権利は誰にもないこと。もちろん、本人にも。

いずれ死ななければならないことが真理ならば、今を生きなければならないことも真実なのだと。

補足の感想

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補足ながら、西宮結絃役の悠木碧さんが、キュートで健気な、硝子の妹を好演しています。『幼女戦記』の幼女士官役もなかなかだったけれど。

声だけで演技ができる声優さんの底力を見せつけられました。