映画『東京裁判』3 戦争に関する法律がある限り、戦争を始めたことは悪ではない

戦争は野蛮な行為ではありません。もちろん悪でもありません。

何故ならば、国際法に戦争に関する法律が定められているからです。

戦時国際法です。

「戦時国際法」Wikipediaより

戦時国際法(せんじこくさいほう、英:Law of War)は、戦争状態においてもあらゆる軍事組織が遵守するべき義務を明文化した国際法であり、狭義には交戦法規を指す。戦争法、戦時法とも言う。ただし現代では国際連合憲章により法的には「戦争」が存在しないため、武力紛争法、国際人道法(英: International humanitarian law, IHL)とも呼ばれる。ここでは戦時国際法という用語を用いる。戦時国際法は、戦時のみに適用されるわけではなく、宣戦布告されていない状態での軍事衝突であっても、あらゆる軍事組織に対し適用されるものである。 

この中には、第2次世界大戦以後に決められた法律もあります。

しかし、基本的には大きく変わっていません。

 

現在でも、戦争を始めることは悪ではありません。

もし、このことが悪として裁かれるならばどうなるのか。

日本は、北朝鮮のミサイルが国内の都市に落ちて、何万人かが死ぬまで、じっとしていなければ違法になります。

そんな馬鹿なことが、あるでしょうか。

タブナー検察官の最終論告が語るもの

東京裁判での、 検察官フランク・タブナーJR(アメリカ)の最終論告が、この裁判は、裁判の形を成していないことを語っています。

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「この人達は、ならず者ではない。かのニュルンベルグ裁判の被告ら、犯罪の方法だけを身につけ、権力を持つ犯罪環境の屑とは別種の人達です。」

「この人達は国家の中枢にいて、国の運命を託された指導者と考えられていた」

 

 この後、ナレーションがタブナー検察官の言葉を続ける。

<タブナー検察官は、被告達をナチス戦犯とは違った存在と認めた。

だが、それだからこそ、悪を選択したことに対し、罪を負わねばならぬ。

と言ってその論告を終わった。この瞬間、東京裁判の審議は全て終わったのである。>

 

この「悪を選択したこと」とは何を意味しているのか、よく分かりません。

 

戦争を始めたことでしょうか?これは先に述べたように、現在でも悪ではありません。

 

それとも、戦争の結果、大勢の人が死んだことでしょうか?

はっきりしません。

もし、多数の民間人を死傷させたことが悪ならば、アメリカや連合国側の国家すべても、悪になってしまいます。

東京裁判が意味すること

罪を訴追する側の検察官が、東京裁判で起訴された被告達は、国の運命を託されたまともな指導者だったと言い切っています。

ナチス戦犯のような犯罪者ではない。

しかし、誰かが罪を負わねばならないので、犯罪者である、と。

 

言っていることが、矛盾しています。

犯罪者ではないけれど、犯人がいないので彼らを犯罪者とする。こんな結論は、まともな裁判でありえません。

 

単なる復讐劇なのだと、検察官が最終論告で語ってしまった瞬間です。