かなりのスプラッタB級映画。
しかし主役のルトガー・ハウアーが良い。格好いいホーボー(流れ者)親父を熱演している。内容のほとんど趣味の悪い殺人シーンだが一箇所だけ、この映画を作った監督の真面目なメッセージが瞬く星のごとく、きらめく。
予告編は、そのシーンから始まっていた。
町を支配するボスとの戦いで、負傷した相棒の売春婦を病院に運びこむ。そこにもボスの刺客がやってくる。病院内を移動している内に、赤ん坊たちがいる保育器の前で立ち止まる。
そこでのホーボー親父のセリフ。
「ずっと昔俺も赤ん坊だった。
お前たちは真新しくて完璧だ。失敗もなく、後悔もない。
人々はお前たちを見て、明るい未来を期待する。
特別な人になって欲しいと。医師とか弁護士とかな。
こんなこと言いたくないが、この町で育ったら、お前たちはたぶん路上で体を売ったり─不潔な注射器でヤクの回し打ちをしたりするはず。要領がよければ常習者にヤクを売って金儲けする。平気で人も殺すだろう。
それが悪いことだと知らずに育つから。
あるいは…おそらく─俺みたいになる。銃を持った流れ者(ホーボー)。
もっとマシな者になれ。未来の子たちよ。」
人は誕生する国や場所を選択できない。霊感的な世界では、選択していると言っている人もいるが、その割には日本のような恵まれた国以外の、貧乏で、内戦が続き、人権どころか食物や着るものすらない国のほうが出生率が高い。
人類はマゾヒストばかりなのか。それとも神さまがサディティスなのか。
それは永遠にわからない謎だ。