子供の頃見た、あのアニメーションのナレーション。
「たったひとつの命を捨てて、鉄の悪魔を叩いて砕く。キャシャーンがやらねば誰がやる」
が良かったのに。
子供は、特に男の子は暴力が好きだ。それが「正義」であればなおさら。
主人公、東鉄也の父親は科学者だった。そして、地球にとって最適な行動を取るような理想のアンドロイド(今ならAI)を開発するのだが、出来上がったアンドロイドは人類を殺し始める。何故なら人類こそがこの惑星にとって最も害があるからだ。
正確で合理的な判断。
アニメ『新造人間キャシャーン』では、東鉄也が父親の汚名を晴らすために自ら新造人間に生まれ変わるのだ。
多数の下っ端ロボットとの格闘シーンが子供心をつかんだ。
キャシャーンは細身の人間なのにロボットの攻撃を片手で受け止めて、簡単に撃破する。
美しい暴力は心に響く。
昔の映画(黒澤明の映画等)に、剣術の達人である老人が、囲炉裏端にいて後ろから暗殺者に刀で襲われる場面がある。それを前を向いたまま鍋のふたで受け止めて、近くにあった薪で叩き出す。そんな感じだ。
少し漫画チックだが、単純なのが美しいのだ。
剣術の達人のように巨大なロボットをクニュと指先で曲げるのが快感だったのに。
宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』は歌詞曲共に最高なのに。
ある意味、才能の無駄遣いか。
監督の紀里谷和明と離婚したのは正解だ。