映画『ズールー戦争』白人(英国人)から見たアフリカ人。

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昔、TV(吹き替え)で観た映画。是非、DVDで観て欲しい。(名作なのでレンタルもあります)

文明人と未開人との戦争として描く。

ズールー族は近代的な戦法を編み出していたため、善戦する(英国史に残るくらい)。

子供の時に観たので、南アフリカの歴史的な背景は全く知らなかった。

長い映画だったが、いま観ても面白さは高レベル。

ストーリーは英国側から見た戦争なので、見ている方も英国側を応援してしまう。
英国守備隊139人に対してズールー軍4000人が攻撃した史実を元した映画。
だが、結末は史実と全く違う。
英国の応援部隊が来たので、やむなく撤退したのだ。

Wikipediaより<ロルクズ・ドリフトの戦い>
(1879年1月)23日未明、イサンドルワナから15kmのロルクズ・ドリフトの伝道所跡に築かれた砦の英軍守備隊へ勢いづいたズールー軍4,000が襲いかかった。ジョン・チャード中尉の守備隊はアフリカ兵が逃亡してしまいイギリス兵139人に過ぎなかった。40対1の戦力比にも関わらず、英軍は奮戦して2日間も持ちこたえ、イサンドルワナから退却してきたチェルムスフォードの部隊が接近したためズールー軍はようやく撤退した(ロルクズ・ドリフトの戦い(英語版))。犠牲者は英軍が戦死13人、負傷14人、ズールー軍が戦死351人。チャード中尉以下の守備隊将兵11名にヴィクトリア十字勲章が授与された。

映画では、守備隊の勇気を称えて、大戦力が残っているにもかかわらず去ってゆく。
そんな馬鹿なことはない。彼らは、英国人に勝利するか全てを奪われるかの二者択一を迫られていたのだ。情けをかけている余裕はない。

Wikipediaより
トランスヴァールが英国の統治下に入り、フレアは南アフリカを連邦化するための残る主な障害は独立したズールー国家であると確信しており、ゆえにこれを破壊すると決意していた。フレアはこれからの行動が本国政府から支持されないことも予期して事件の詳細を報告することを遅らせておき、12月11日にズールー側代理人に対し受け入れ不可能な最後通牒を発して31日までに返答することを求めた。最後通牒には以下の13の条件が含まれていた。
1.測量技師を捕えた犯人をナタール裁判所で裁判にかけるために引き渡すこと。
2.上記の犯行およびセテワヨが裁判所命令に従わなかった賠償として牛500頭を支払うこと。
3.測量技師への違法行為の賠償として牛100頭を支払うこと。
4.スワジ族長ンビリナイをトランスヴァール裁判所で裁判にかけるため引き渡すこと。
5.即位時の約束を遵守すること。
6.ズールー軍は解散し、男達は帰宅すること。
7.従来のズールー軍制は廃止し、英国との相談の上で別の軍制を採用すること。
8.帰宅した男達は結婚できるようにすること。
9.1877年に以前にズールーに居住していた全ての宣教師と改宗者は彼らが望むならば帰還し、元の住居に住まわせること。
10.宣教師たちは説教を許され、教えを望むズールー族は自由に聞けること。
11.上記の条件の履行を監督する英国代理人の滞在を許可すること。
12.宣教師およびヨーロッパ人に関する全ての紛争は弁務官同席のもとで王が公に聴取すること。
13.弁務官の同意なしに、ズールーランドからの追放刑は行わないこと。
フレアはズールーとの紛争を引き起こすことを望んでいたと信じられており、そしてその目的は達せられた。セテワヨは12月11日の要求を拒否してこの年の終わりまで返答しなかった。1879年1月11日に本国政府からの承認が与えられ[要出典]、開戦は既定のこととなった。

要するに、全面降伏して軍隊を解散せよ。英国の支配を受けよ。との内容だ。

映画内で、3列横隊で射撃し、ズールー軍を倒していたが、負傷したズールー人はどうなったのだろう。撃たれても皆が即死するわけではない。やはり銃剣で皆殺しなのか。

大人になると、子供の頃単純に楽しめた映画もツッコミを入れながら観るようになった。

それに「俺たちの国も無理難題をふっかけられて、戦争に追い込まれ、負けたんだよな」と哀しくもなる。

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