「アメリカの人気ファッション誌、ヴォーグの若者版「ティーン・ヴォーグ」6月号が、肛門を使った性交渉「アナルセックス」の方法を解説した特集を掲載し、賛否両方のアピールが激しくぶつかりあう論争に発展している。」
とか。
キリスト教徒は大変です。アナルセックスはそれだけで罪なのです。
旧約聖書「レビ記20章13節」に、
「男がもし、女と寝るように、男と寝るなら、ふたりは忌み嫌うべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある」
と記されており、かつては、死刑(石打ちの刑)に相当する重罪でした。
自分にはない性癖の話は、好奇心をそそる
問題の「ティーン・ヴォーグ」 を読んでみました。
うーむ。これは面白い。
ゲイではなくてもこれは興味深い。
若い頃に知っておけば、案外同性にも興味がわいたかもしれません。
20代の頃、同僚にバイセクシャルがいた
かつての職場の同僚に、バイセクシャルな人がいました。男性です。やや細身の美青年でした。
何故そんな話になったのかよく覚えていないのですが、会話をしていると、
「僕は男性と肉体関係をもったことがあるよ。女性ともあるけどね」と彼がさらっと言ってきました。
私は「へぇーそうなんだ」としか反応するしかなくそのまま話が終わってしまい、後々になって具体的にどんな行為をしたのか聞いておけばよかったと後悔したのです。
数十年後にネットで方法を見ることになるとは思いもよりませんでした。
アメリカ人らしい直接的な表現
Googl翻訳なので、不自然な日本語であり、直訳すぎます。
しかし、直訳の方がわかりやすいのは確か。
以下、抜粋しました。
肛門は神経終末でいっぱいです。刺激されると、いくつかの人にとって素晴らしい感じがします。
肛門性交は、しばしば乱用されますが、性的活動に従事するには完全に自然な方法です。人々は人類の誕生以来、アナルセックスをしています。真剣に、それは古代ギリシア人に裏づけされています。あなたがそれを試すことを少し心配している場合、または魅力を理解することに問題がある場合は、ちょうどそれが奇妙でないまたは総体でないことを知ってください。
それはしばしば充満感として説明されますが、それは楽しいものです。
肛門は、膣のように可鍛性ではありません。膣は、幼児の頭部を設計通りに収容する能力を備えています。肛門は非常に堅く、直腸領域に何かを持つ感覚はユニークです。それはしばしば充満感として説明されますが、それは楽しいものです。
遅く始める - 真剣に
ここに本当のことがあります。ある日、あなたは肛門を始めるつもりだと決めてから、それを行ってアンカーを外すことになるだけでは決まりません!
いいえ。いい考えではありません。あなたはゆっくりと始める必要があります。肛門は、より大きいオブジェクトを挿入するまで作業する必要のある筋肉です。指で始めるか小さい(私はv。小さい)突き当てプラグを使い、自分自身を温かくするか、パートナーの助けを借りてください。これを行うには、あなたの指やおもちゃを潤滑し、穏やかに肛門をマッサージしてください。より魅力的で快適な気持ちになるので、オブジェクトを内部で作業してください。ゆっくりと周りを動かして、その領域を緩めます。潤滑油は必須です
はい、あなたは糞便と接触するでしょう。
アメリカ人ですなー。はっきりし過ぎて、やや引いていしまいます。
『わが師 折口信夫』加藤守雄。日本人は風情がある
日本人には男色の歴史があるためでしょうか、同性愛の方法についても情緒があります。
昭和の民俗学者、折口信夫は「体を裏返す」などと表現していたようです。
ただし、これは折口信夫の造語ではなく、当時使用されていた言葉でした。
加藤守雄の『わが師 折口信夫』には、こんな話が書かれています。
先生の体が、そっと私の横にすり寄ってきて、ぴったりと私の肩を抱いた。いとしさを体で現そうとするように、
「悪かったね、悪かったね」と言われる。
「君が家に来てくれてよかった。春洋は、ぼくの好きなひとを良く知っている。だから、君に頼んだんだね」
春洋は折口信夫の弟子であり養子ですが、正しくは愛人です。この時、徴兵されて家にいませんでした。後に硫黄島で戦死します。
先生の体温が、背や腰につたわって来るのを、私は奇妙な感覚でうけとった。非常識なやり方だけに、先生らしい愛情の現し方だとも思った。私は無抵抗に、じっと体をこごめているよりなかった。
「いつも、君は髪を長くしていたろう。だから、額のすずしさがかくれていた。髪を短くしたんで、君の美しさがはっきりしたよ」
ささやくように言われる。それは、いったい、どう言うことなのか。私にはわからない。たしかに、ばさばさとした長髪を、簡閲点呼をうけた時五分刈りにした。だが、その事が、先生にとって何の意味があるのだろう。
先生が早く、自分の床にかえってくれたらいい、と私はそれだけを思っていた。
「君は書生仲間でつかう、体を裏返すということばを知っているか」
「さあ」私は頭の中で、その言葉をくり返した。紙一枚へだてた向うで、ぼんやり何かがわかりかけていた。その時、先生の体が、私の上にのしかかると、私の唇に触れた。
この後、 ゲイではなかった加藤守雄は先生をはねのけてしまうのです。
これだけ読むと、折口信夫がノーマルな弟子を襲ったかのように受けとめられます。
今で言う、立場を利用したセクハラかのように。
しかし、この『わが師 折口信夫』は昭和42年(1967年)に書かれたものなので、世間からの見え方を気にしていた表現のようです。
加藤守雄が師匠である折口信夫の性癖を知らなかったはずがありません。
日本では、平安時代から江戸時代までの間、男色は普通に行われていました。
明治になって、西洋つまりキリスト教国の規範を知り表面的に隠したのです。
それでも、昭和初期まで普通に書生仲間で行われていました。
日本には同性愛を禁止する文化が元々ないのです。
寛容と言えば寛容です。何でもありと言えば何でもありですな。