今日の中国13 新疆ウイグル自治区の現状。「生きた臓器バンク」として1900万人のDNA採集行われる

新疆ウイグル自治区は、かつてイスラム教徒の国でした。

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1955年、強引に中華人民共和国の自治区として取り込まれました。

元々は、ウイグル人が7割を占める国でしたが、現在では漢民族の入植が進み5割弱になっています。

入植という名の侵略です。

過去に核実験が45回も行われ、政治犯として数万人単位で逮捕・処刑されてします。

 

そのため、分離独立を主張しています。しかし、弾圧が激しく民族としてのウイグル人は風化させられる一方です。

 

中国の新華社通信によると、11月に衛生当局が「検診」と称して、新疆ウイグル自治区の9割に当たる1900万人のDNA採集を行った。

もちろん、強制的に採取されたのです。

 

目的として、「生きた臓器バンク」としてドナー登録するためであろうと推察されています。

おぞましく、恐ろしい話です。

www.47news.jp

中国当局、新疆で1900万人のDNA採集 「無料の全民検診」実施 
2017.12.15 14:37

 中国当局は新疆ウイグル自治区で住民からDNAなど生体データを採集している。国際NGO人権組織の「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HumanRightsWatch)」は13日、このような大規模な強制収集が国際人権規約を踏みにじるものだと批判した。

 当局に「全民検診」と呼ばれたこの無料のプロジェクトでは、12歳から65歳までの住民を対象にDNAや血液のサンプル、指紋、虹彩、血液型などの生体データを集めている。

 中国国営の新華社通信は先月、衛生当局の統計として、新疆の総人口の9割に相当する約1900万人がこの「検診」を受けたと伝えた。

 中国官製メディアは、受診には本人の意思が尊重されると伝えたが、12日付け英大手新聞社「ガーディアン(TheGuardian)」は地方住民らの話として、地元の共産党幹部が住民全員の受診を要求したと伝えた。特に当局の監視に置かれる「不穏分子」らは検査を強いられたという。

 「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」によると、匿名の住民は、受診しなければ「共産党への忠誠心がない」とレッテルを貼られ、いやがらせを受けるのを恐れて検診を受けた。半ば強要された形だが、この住民は、検査結果について当局から何の連絡もないという。

 中国共産党の治安・司法部門トップだった孟建柱・前中央政法委員会書記が今年8月、DNAデータベースで社会安定を維持するよう呼びかけた。新疆地元当局の公式文書によると、住民らから採集したDNAなどの情報が公安当局に提出され、分析を受けている。

 中国新疆出身の在英の元外科医エンヴァー・トフティ(EnverTohti)氏は11月2日に台湾・高雄市で行った講演で、中国当局が「健康診断」や「DNA検査」などの名で新疆のウイグル人や法輪功学習者などから生体情報を採集していることについて、合理的理由が見つからないと指摘。

 トフティ氏は、こうした不合理な新疆地区住民のDNA採取について、中国移植権威で富裕層や外国人移植希望者のための移植用臓器となる「生きた臓器バンク」とし、住民を秘密裏に「ドナー登録」しているではないかとの推測を述べた。

 中国衛生部(厚生省)の前副部長・黄潔夫氏は7月26日、AP通信のインタビューで、国内ドナー登録者は21万人を数え、2020年には、中国は米国を抜いて世界一の移植大国になると主張した。

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 中国当局が近年、相次いで全国の空港で「人体器官空運のための緑の通路」と呼ばれる特別ルートを設けた。これに対し、トヒティ氏は「どれだけの流通量があればこうした通路が必要になってくるのか。突き詰めて考えると怖くなる」と話した。

 中国当局は1989年からDNA遺伝子情報を収集し始め、2015年の時点で4000万人分以上の遺伝子情報を有し、世界最大級の規模である。

(翻訳編集・王君宜)

【ニュース提供・大紀元】

食糧としての人肉の歴史

このような「生きた臓器バンク」を現実化する背景には、中国の歴史が関係していると思われます。

中国の歴史では、普段から人肉食がなされており、戦争ともなれば住民を食糧として扱ったことが記録されています。

『酷刑』王永寛著には、次のような記述があります。

 歴史上には、人肉を軍糧にあてるというやり方をもちいた将帥が少なからずいた。彼らの行くところ、たちまち財物が略奪され、民衆は食糧に供されたのである。五胡十六国時代、前秦の太宗苻登(ふとう)が兵をひきいて戦ったさい、殺した敵兵は“熟食”(料理の食材)と呼ばれた。苻登は兵士らにつねづねこういったものである。

「おまえたちが昼間しゃかりきに戦えば、夜には脂肉をたっぷり食わせてやる。めしの心配はするな・・・・・・」

 かくして部下たちは奮闘し、いくさに勝てば人肉を食い、腹いっぱいになればふたたび戦う。

 

 唐の末年、将官の秦宗権は部隊を四方に派遣しては民衆を虐殺したが、その部隊は糧秣をもたず、代わりに殺した人肉の塩漬けを携帯した。また、同じく唐末の楊行密が広陵を包囲したさい、城中の食糧が尽きた。城を守る兵士らは、民衆をつかまえては市で専門の処理屋に売りとばした。処理屋たちはまるでブタや羊をさばくように人間を料理した。

 文化のDNAは長い年月を経ても変わらないのです。