今日の中国31 野中広務死去。中国共産党と日本共産党に褒められる人

1月26日、野中広務が92歳で死去しました。

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日本では、死者に鞭打つのは美しくないとされます。

しかし、野中広務は死してなお、鞭打たれるにふさわしい政治家です。

 

有能で人間的魅力に満ちた人物であると同時に、自民党のハト派として売国の徒でもありました。

 

彼について書いた本を読むと、タカ派の元東京都知事、石原慎太郎と親しい友人であったことがわかります。

 

思想信条からすると、まったく逆方向をむいてるように見えました。けれども、この2人は相手の力量をわかったうえでの友人なのか、互いに批難したことがほとんどありません。

 

政治家同士は、思想信条では理解できない関係があるようです。

 

ただし、日本の安全保障の観点からすると、ハト派の野中広務は平和を言い募りながら、日本の平和を大いに阻害していました。

 

優秀な彼がどこまでそんな自分を客観視できたかは、よくわかりません。

 

けれども死去した後、中国共産党と日本共産党から平和の使者であるかのように弔辞を受けているのをみると、やはり似非ハト派であったのです。

 

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新華社、野中氏死去を報道=日中関係発展に努力

 【北京時事】中国国営新華社通信は27日、野中広務元官房長官が死去したことに関して、「中日友好関係の発展のために多くの努力をした」とたたえる記事を配信した。日中関係を重視した野中氏に対する中国側の評価は高い。

 

 新華社は、野中氏が訪中を重ね、日中友好協会名誉顧問を務めたと紹介した。また、安倍政権を批判し「憲法9条の改正に断固反対し、再び戦争への道を決して歩んではならないと考えていた」と指摘。政界引退後もハト派として存在感を示した野中氏の活動を簡潔に伝えた。(2018/01/27-15:43)

赤旗でべた褒めされる自民党元幹事長は問題

野中広務元官房長官が死去/「赤旗」に登場 9条への思い語る

野中広務元官房長官が死去

「赤旗」に登場 9条への思い語る

 官房長官や自民党幹事長などを歴任した野中広務(のなか・ひろむ)さんが26日、京都市内の病院で死去しました。92歳でした。京都府南丹市(旧園部町)出身。

 

 京都府議、副知事をへて1983年の衆院補選で初当選。村山富一内閣で自治相・国家公安委員長として初入閣し、小渕恵三内閣では官房長官、森喜朗内閣では党幹事長を務めました。03年に政界を引退。その後、憲法や戦争と平和、政治の原点をテーマに活発に発言を続けました。

 

 97年4月の米軍用地特別措置法改悪の際、担当委員長として衆院本会議で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように…。国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自らの思いを付け加えました。

 

 「しんぶん赤旗」には09年6月27日付の特別インタビューで登場し、憲法9条への思いなどを語りました。

 

志位委員長がお悔やみ

 日本共産党の志位和夫委員長は、野中広務さんの訃報に接し、次のお悔やみを出しました。


 心からのお悔やみを申し上げます。1997年の沖縄の土地特措法の委員長報告で「国会の審議が再び大政翼賛会にならないように」と訴えた姿。09年「赤旗」インタビューに応じてくださり「戦争に加担しない道を」と訴えられたこと。平和と沖縄への深い思いを決して忘れません。