今日も憂鬱な朝鮮半島26 北朝鮮への経済制裁が効果をあげています

日米主導(国連決議)の北朝鮮への経済制裁は、思っているより効果があがっています。

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中国やロシアなどの抜け道はありますが、元々貧乏な国家です。

経済制裁がボディーブローのようにじわじわと効いている。

 

平昌では、やりたい放題です。

韓国に対して、「お前らが参加して下さいと言うから、参加したるわ」との態度はまったくぶれていません。

 

しかし、国内では特権階級の国家保衛省の保衛員にすら配給がとだえているとか。

国家保衛省は金一族の体制を批判する政治犯をかたっぱしから逮捕しては、拷問・処刑している機関です。

その保衛員にすら配給がとどこおるのは、制裁がかなり効果を上げている証拠です。

this.kiji.is

金正恩「拷問部隊」の飢餓状態でただよう不穏な空気

2018/1/29 06:42 1/31 04:43updated

cデイリーNKジャパン


かつての北朝鮮は、世界でも類を見ない配給国家だった。大多数の北朝鮮国民は、国から配給される食糧や生活必需品に頼り、決して豊かではないが安定した暮らしを営んでいた。

 

それが変わり始めたのが、共産圏の崩壊が相次いだ1980年代のことだ。1987年ごろから食糧の配給量が減り始め、1990年代に入って遅配が増加した。そして、1995年ごろからは配給が完全に途絶えてしまったのだ。

 

そのとき、「食糧問題はいつか国が解決してくれる」という考えを変えられなかった人々は、次から次へと餓死した。その数は数十万人単位になると言われている。これが、1990年代後半の食糧難「苦難の行軍」だ。

 

そんな時代でも、配給が得られていたのが国家保衛省(秘密警察、当時は国家安全保衛部)と人民保安省(一般警察、当時は社会安全部)の関係者だ。独裁体制を支える「恐怖政治」の執行機関として、軍よりもはるかに厚遇されていたからだ。

 

とくに、政治犯に対する拷問や公開処刑を担当する国家保衛省の権限は絶大であり、彼らなくして今日の金王朝はなかったとも言える。

 

しかし今、そんな彼らに対する配給が止まってしまっているという。咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋が、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)に伝えたところによると、配給が途絶えたのは昨年末からのことだ。

 

「地方の保衛員に行われていた配給が昨年12月から途絶えた。一時的なものかどうかはわからないが、こんなことは初めてだ」(情報筋)

 

また、別の情報筋も「清津(チョンジン)市の羅南(ラナム)区域の保衛部は、配給が途絶えてから2ヶ月になる」と伝えた。市内の他の区域でも状況は同じだとのことだ。

 

実際は過去にも配給の停止があった。2012年9月、両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋は、現地の保衛部などへの食糧配給が途絶えたと伝えた。しかし、その後再開したものと思われる。

 

町では、今回の配給停止の話題で持ち切りだ。地域住民は「ありえないことが起きている」と騒いでいる。

 

詳細は不明だが、過去の配給停止とは何か様子が違うようだ。ちなみに、再開されるかどうかについては何ら情報がないとのことだ。

 

情報筋は「配給中断は道内だけなのか全国的に広がっているのかわからない」としつつも、保衛部への配給が途絶えるぐらいなら、国全体が深刻な状況に陥っているのではないかと住民の間には緊張が走っていると伝えた。

 

心配事はそれだけでない。食糧事情がひどくなれば、保衛員、保安員による横暴がひどくなるおそれがあるからだ。

 

普段から、保安員や保衛員は、市場の商人に上納金やショバ代をを要求する。それ以外にも、保安署(警察署)の署長や幹部に肉と酒を納めなければならない。拒否すれば商売を禁止し、商品を押収した上で、罰金をむしり取る。配給の停止で、生き残るためにカツアゲに精を出すのが火を見るより明らかだということだ。

 

今回の配給中断が、食糧難の深刻化によるものかどうかは、今のところわかっていない。しかしいずれにしても、国際社会による経済制裁の影響とは無関係ではないはずだ。

 ちなみに経済制裁は戦争行為

日本人は戦争についてあまり学んでいないので、経済制裁についてもよく意味がわかっていません。

経済制裁は戦争行為とみなされるので、すでに日本国は北朝鮮に対しては宣戦布告しているのと同じ状態です。

 

太平洋戦争が戦闘行為として真珠湾攻撃で始まるまでに、大日本帝国は、アメリカ・イギリス・中国・オランダから徹底的に経済制裁を受けていました。

いわゆる、ABCD包囲網です。石油、屑鉄など絶対に必要な物資を止められました。

すでに戦争は始まっていたのです。

具体的な戦闘行為がなくとも、戦争は始まります。