高畑勲監督『火垂るの墓』 B29を撃墜できていれば、清太と節子を守れた

芸術には、右翼も左翼もありません。

 

例えば、作曲家のリヒャルト・ワーグナーのユダヤ人嫌いは有名です。

彼の反ユダヤ主義は徹底しており、

「ユダヤ人は劣等民族なので真の芸術は理解できない」とまで書き残しています。

 

そんな差別主義者であっても、彼の残した曲は心をゆさぶり感動を与えます。

 

現代の日本では、芸術分野のほとんどを左翼勢力が占めています。日本が戦争に負けかけている時、または敗戦してから生まれた人がほとんどなので、幼い時に受けた教育「日本は戦争した悪い国だ」流の左翼思想が浸透しているのです。

 

けれども、それで彼らの作品の価値が劣るわけではない。

 

高畑勲監督が死去しました。

アニメ『火垂るの墓』は飛び抜けて素晴らしい作品です(野坂昭如の原作も良い)。

映像のリアリティはもちろんのこと、声優陣の秀逸さはもっと評価されるべきです。

 

あのアニメは、実際に起きた神戸空襲をもとに描かれています。

関西人でなければわかりにくいことですが、同じ関西弁でも大阪、京都、滋賀そして兵庫(作品中では神戸)ではそれぞれ違いがあります。

関東人には同じに聞こえても、地元で育った人間にはすぐに違いがわかります。

 

『火垂るの墓』では、声優さんたちは見事に“神戸弁”を話していました。

それだけでも感動モノです。

 

作品はリアリティのある傑作です。

ですが、高畑勲監督が今の日本のリアルを捉えることは無理だったようです。

 

『火垂るの墓』に話を戻します。あの可哀想そうな兄妹はどうすれば救えたでしょうか。

日本が爆撃機B29を撃墜する能力を持っていれば、空襲は防ぐことができました。そしてあの兄妹と母親を守ることができた。

こんな当たり前のことを発言するだけで右翼扱いされてしまうのが、今の日本です。

高畑勲監督からも「お前は軍国主義者で右翼だ」と言われたでしょう。

 

しかし、歴史を冷静に見れば、自国を防御する能力と意思を持っていない国は滅ぼされているのです。

大日本帝国のように。

 

政治に対して発言をするならば、空虚な理念や理想に閉じこもらずに、もっと歴史に学んで欲しかった。

 

神奈川新聞インタビューでは「『普通の国』なんかになる必要はない」と主張していました。

これは「愛する人が暴漢に襲われても放っておけ」と言っているに等しい。

現在と将来の日本を生きている子供達にとって、これほど残念で虚しい言葉はありません。

『普通の人』は攻撃してくる無法者に対しては防御するか、反撃するものです。

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『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」(前掲・神奈川新聞インタビュー)