高島屋といえば大阪・京都では有名なブランド百貨店です。
関東にも進出していますが、大阪人にとっては大阪がメインのイメージが強い。
隣近所へのお土産などは、高島屋百貨店の紙袋に入れて渡すと高級感が1.5倍増しくらいになるのです(ちなみに、阪急百貨店でも同じ効果があります)。
ところで、日本企業の性であるように、2012年高島屋も中国に進出していました。
しかし、今年の8月25日に上海高島屋は閉店する予定です。
閉店に追い込まれたと言っても良いでしょう。
無駄なエネルギーを使ったものです。
共産党一党独裁国家による官製の反日デモがいつ起こるかわからない場所で、まともな商売を続けるのはほとんど不可能です。
10億円単位の赤字だったとか。
近所の酒屋のおっちゃんの方が賢明です
10年ほど前、酒屋のおっちゃんと話す機会がありました。
「息子が某ビール会社に勤めているのだが、今度中国に出向するらしい」
「大丈夫か?と聞いたが、息子は会社の指示なので仕方ないとボヤいている」
とか。
その某ビール会社は、CMもバンバン流している有名な企業でした。
営業部には有名大学を出た賢い社員が揃っているはずの大企業でも、正しい決定を下すことは難しいのです。
高卒で叩き上げの酒屋のおっちゃんの方が肌で感じることができるからでしょう。
高島屋は6月25日、中国から撤退すると発表した。子会社の上海高島屋百貨を8月25日に清算し、同社が運営する上海市内の店舗を同日に閉店する。
上海高島屋の運営は当初から誤算続きだった。開業は2012年12月。その3カ月前の12年9月、日本政府は尖閣諸島の国有化に踏み切った。中国では反日デモが起こり、中国国内の対日感情は最悪と言える状況に陥った。そのため、開業時に大々的なキャンペーンを打つことができず、スタートダッシュに失敗した。高島屋の村田善郎社長は「静かにオープンせざるを得ず、計画を下方修正することになった」と振り返る。上海高島屋は日本人が多く住むエリアに立地しているが、日中関係の悪化もあって帰国する日本人駐在員の家族が増えたことも痛手となった。
店舗の隣にある土地の開発がなかなか進まなかったことも高島屋にとっては誤算だった。当初は隣にも商業施設ができる計画で、上海高島屋と一体でにぎわいを生み、人を集める算段だった。だが、ようやく動き出した開発計画では「商業施設ではなく、オフィスビルになってしまった」(村田社長)。
想定した売り上げを上げることができないうえ、家賃の負担も重く、14年2月期以降、10億円単位の営業赤字が続いてきた。17年2月期と19年2月期に赤字額は10億円を切ったものの、これまでも撤退するのではとの声は出ていた。だが、高島屋はシンガポールでの成功を例に挙げ、長い目で育てていくとしてきた。
今回、撤退に踏み切ったのは大家との家賃減額交渉が成立しなかったことが直接の引き金だ。さらに前述の周辺の開発の遅れと変更、米中貿易摩擦による経済の停滞、個人消費の落ち込みで黒字化のメドが立たなくなったという。
加えて、IT企業による小売りや外食分野への進出の影響も見逃せない。上海高島屋で常に人が多かったのが、地下の食料品売り場と最上階のレストランフロアだった。中国の商業施設の衣料品・雑貨の売り場や店舗は、上海高島屋に限らず、閑散としているところが多い。そのため日本の商業施設と比べて飲食店の比率が高い。
カルフールも中国事業を売却
以前からネットでの購入が当たり前だった衣料品や雑貨、家電の分野だけでなく、上海高島屋にとって集客の要となっていた食料品や飲食の分野でも、高島屋が中国に進出してからの数年で一気にネット経由のサービスが広がった。
中国ネット通販最大手のアリババ集団は17年に生鮮スーパー「盒馬(フーマー)鮮生」の出店を開始。スマートフォンのアプリで注文すると最短で30分以内に商品を配達してくれるのが売りだ。
外食分野では、アリババ系の「餓了麼(ウーラマ)」やテンセントが出資する美団点評のアプリを使って、出前サービスを利用するのが日常の光景になった。商業施設に入る飲食店にとっては来店してもらうのも出前するのも変わらないが、商業施設側から見れば食事の前後に商品を買ってもらう機会が減る。
23日には仏小売り大手のカルフールが中国事業を家電量販大手の蘇寧易購集団に売却したばかり。カルフールは90年代後半以降、中国で店舗網を広げ、成功を収めた。しかし、近年はネット通販に押され、業績が低迷していた。
高島屋は今後、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国で事業を広げる計画だ。村田社長は「東南アジアの富裕層の中には、シンガポールの高島屋は知っていても、日本橋の店は知らないという人もいる」と話す。シンガポールで築いたブランド力を背景に東南アジアに経営資源を振り向ける。
ただ、東南アジアでも中国と同様、ネットを通じた様々なサービスが広がり始めている。シンガポールでの成功体験とブランド力に頼るだけでは、ネット企業との戦いに勝てないだろう。