映画『東京裁判』は長いドキュメンタリー映画だ。日本が世界を相手にした戦争の戦前、戦中、戦後の歴史がある程度頭に入っていないと多分寝てしまうだろう。私も5回観たが、初めの2回は寝てしまった。
戦争については、71年も前の日本の加害についてやたらと報道するテレビ局も、何故かこの映画を流さない。第一級史料なのに。
この裁判は、1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日の期間、約2年間開かれた。映画として、裁判の記録をわかりやすくまとめても4時間36分もあるのだ。
しかし、ひと言で表現するなら、
東京裁判は裁判管轄権(さいばんかんかつけん)のない連合国が行った無効な裁判である。
裁判管轄権とは、特定の事件に対して、特定の裁判所が裁判を行う権限のことである。
これは大事なことで、裁判の基本でもある。
ある2つの組織同士が武力で争った場合、勝った組織の成員が裁判を開き、判事や検事を担当することは出来ない。何故ならば、それでは単なる復讐劇になってしまうからだ。裁判所は中立を保つ必要があるのだ。
また争った時点で無かった法律を新たに作って、それをもって裁くことも不可である。事後法の禁止といって、事後法を有効とすれば、どんな罪でも新たにつくり上げることが出来るからだ。
この2点を裁判冒頭に清瀬一郎、ジョージ・A・ファーネス、ベン・ブルース・ブレイクニーの3人の弁護士がウェブ裁判長に詰め寄って、この裁判所に管轄権はないことを訴えた。映画では、1時間1分から1時間18分55秒までに流される。しかし、ウェブ裁判長は「理由は将来に宣告します」と言ったきり、強引に裁判を始め、とうとう説明はなされなかった。
Wikipedia「極東国際軍事裁判」から。
弁護側の管轄権忌避動議
1946年5月13日、清瀬一郎弁護人は管轄権の忌避動議で、ポツダム宣言時点で知られていた戦争犯罪は交戦法違反のみで、それ以後に作成された平和に対する罪、人道に対する罪、殺人罪の管轄権がこの裁判所にはないと論じた。
この管轄権問題は、判事団を悩ませ、1946年5月17日の公判でウェブ裁判長は「理由は将来に宣告します」と述べて理由を説明することになしにこの裁判所に管轄権はあると宣言した。
しかしその後1946年6月から夏にかけてウェブ裁判長は平和に対する罪に対し判事団は慎重に対処すべきで、「戦間期の戦争違法化をもって戦争を国際法上の犯罪とするのは不可能だから、極東裁判所は降伏文書調印の時点で存在した戦争犯罪だけを管轄すべきだ。もし条約の根拠なしに被告を有罪にすれば、裁判所は司法殺人者として世界の非難を浴びてしまう。憲章が国際法に変更を加えているとすれば、その新しい部分を無視するのが判事の義務だ」と問題提起をしたという。日暮吉延はこのウェブ裁判長の発言は裁判所の威厳保持のためであったとしたうえで、パル判決によく似ていたと指摘している。補足動議
1946年5月14日午前、ジョージ・A・ファーネス弁護人が裁判の公平を期すためには中立国の判事の起用が必要であるとのべた。またベン・ブルース・ブレイクニー弁護人は、戦争は犯罪ではない、戦争には国際法があり合法である、戦争は国家の行為であって個人の行為ではないため個人の責任を裁くのは間違っている、戦争が合法である以上戦争での殺人は合法であり、戦争法規違反を裁けるのは軍事裁判所だけであるが、東京法廷は軍事裁判所ではないとのべ、さらに戦争が合法的殺人の例としてアメリカの原爆投下を例に、原爆投下を立案した参謀総長も殺人罪を意識していなかったではないか、とも述べた。
翌日の5月15日の朝日新聞は「原子爆弾による広島の殺傷は殺人罪にならないのかー東京裁判の起訴状には平和に対する罪と、人道に対する罪があげられている。真珠湾攻撃によって、キツド提督はじめ米軍を殺したことが殺人罪ならば原子爆弾の殺人は如何ー東京裁判第五日、米人ブレークニイ弁護人は弁護団動議の説明の中でこのことを説明した」と報道した。また全米法律家協会もブレイクニー発言を機関紙に全文掲載した。
以下に、『東京裁判』の動画をユーチューブからリンクしました。
すべて観る必要もなく、このやり取りだけで十分である(見たい人は是非全編観て欲しいが)。
結論は出ている。