映画『ハクソーリッジ』ふたたび観る。米国の映画から当時の日本人の戦いを思う

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アマゾンプライムにあったので再度観てしまいました。

amzn.to

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アマゾンのレビューをみてびっくり。

感動した系のコメントの多さに。

中には批判している人もいますが、ほとんどが主人公の信念と行動に感銘を受けている。

主人公は究極のエゴイスト

ありていに言えばこれは、究極のエゴイストの話です。

(あくまでキリスト教徒でない、一日本人としての意見です。特定宗教を誹謗するつもりは全くありません。信仰は個人の自由ですから。ただし批判も自由であるべきです)

 

主人公はキリスト教プロテスタント系のセブンスデー・アドベンチスト教会の教徒らしいのですが、戦場で自分だけ「汝、殺すことなかれ」を信念として守り続けることがどうして美しいのかよくわかりません。

衛生兵として仲間を助け、宗教的信念から人を殺さないのは素晴らしいかもしれない。しかし、助けた兵士や下士官、士官が再び人を“殺すこと”に知らないフリをするのは罪ではないのか。

 

何?「知らないフリはしていない」ですか。

いや明らかに知らないフリをしています。

もし、助けた兵士たちが再び武器を持って敵を“殺すこと”を知っていたならば、間接的に彼が殺したことは自明の理です。

それでも、そんなことはない衛生兵として働いただけだと言い張るのならば、その人は偽善者と呼ばれるでしょう。

 

宗教の目的は救われることにあります。

日本人にはわかりにくいことですが、キリスト教徒の最終的な救いは死後復活して神の御許に召されることです。ここで要注意なのは死後の復活とは、魂がではなく死んでいた人間がそのまま生き返ることです。だからキリスト教徒は土葬なのです。

 

旧約聖書にあるノアの箱舟も結局自分たちだけ助かる話です。やはりエゴイズムが優先される。

自分だけは宗教的信念を貫いて武器を持たないが、助けられた戦友は戦闘で敵を殺す。

つまり救われるのは自分だけです。

 

私としては、自分だけ神の御許に召されようするエゴイストより武器を持って祖国(米国)のために戦った兵士たちによほどシンパシーを感じます。

映画で描かれているように命をかけて激しく戦ったからこそ、今現在の同盟があるととらえるのは間違いではないはず。

先の戦争での戦いが、日本と米国の争いを少なくとも武力での戦争には発展させないようにしたのです(まあ数百年後にはわかりませんが)。

今を生きる日本人として思うこと

戦争を美化してはいけないと言われますが、そんなことはないと個人的には考えています。

あの沖縄の地で、地下に潜り凄まじい砲撃と爆撃に耐えて、上陸してきた圧倒的物量を誇る米軍を苦しめた。

それが醜いことでしょうか?

沖縄戦で戦った沖縄の人々、本土から送られた兵隊たちを無駄死に扱いすることは、死者への冒涜でしかない。沖縄戦では県民の1/4が亡くなったといわれています。

私達の祖父や曽祖父たち、また関係する人々が祖国日本を守るために命をかけて戦ったことが醜く愚かなこととだったと言ってしまえば、人が誇りを持って生きることすべてを否定していまう。

日本の国が江戸時代後期に、諸外国から何を要求されても受け入れて植民地になっていればよかったと言うのと同じです。

もっと身近な例であれば、イジメられてもじっと我慢し抵抗もせずにただイジメっ子の言うなりになる。そんなことに耐えられるのか。また現実にいじめられている子に対して我慢しなさいと言えるのか。

悲しいことに現実の日本ではイジメっ子相手に戦うことすら禁じられているようです。

戦争は足元に来ている

ウクライナとロシアの戦争の様子が毎日のようにTVやネットで流されています。

ミサイルや砲撃で破壊された街や死体が放置された道路。第二次大戦以降そしてソ連の崩壊後、ウクライナ人が作り上げてきたインフラや住居がことごとく破壊されていく。

あれを見ても日本の安全保障を真剣に考えようとしない政治家やジャーナリストが数多くいます。

日本の若者が豊かさの中にあっても将来を不安視するのはそんな状態だからでしょう。