LGBTのこと、続き。『仮面の告白』三島由紀夫著の美

自分自身、色々な意味で「普通」ではない部分がある

自分自身、精神面では相当に壊れていると時々思います。

ただ、残念なことにLGBT

L:レズビアン(女性同性愛者)、

G:ゲイ(男性同性愛者)、

B:バイセクシュアル(両性愛者)、

T:トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致))

に関しては、該当しません。

 

生まれ変わったら女性になってみたいとか、

男であっても、カッコイイなと感じたり、その程度のことはあるのですが。

しかし、GBTの傾向はどうもない。

もしそうであれば、ブログにアップするネタが更に増えるのでは、と勝手に期待していました。

残念です。

文学や物語の世界ではタブーこそ美になる

『仮面の告白』を初めて読んだ時の衝撃は今でも忘れられません。

ホモセクシャル、いわゆるゲイの人をこんなに美しく描けることに感動しました。

少女マンガやBL(ボーイズ・ラブ)小説は、女性から見たホモセクシャルの視点なので、男からすると違和感があるのです。自分は分からないが、たとえ男性を好きになったとしても、こんなとらえ方をしないのではと思えるのです。

『仮面の告白』は、これこそ男性の視点からみたホモセクシャルな男の姿だと感じました。

作中で、三島由紀夫は、私小説を書くようにホモセクシャルな少年の悩みを綴っています。(ただし、表題が「“仮面”の告白」なので、創作かもしれません)

好きな先輩がちょっとヤンチャな少年で、彼をからかうのですが、必死に食らいついてゆこうとする場面の純真なこと。

女性を好きになろうとして努力するけれど、表面的なふるまいだけしか出来ずに、苦しむ様子。

そして好きなふりをしていた女性と再会し、やはり自分は女を好きになれないと絶望して唐突に終わるラストの恐ろしいまでの残酷さ。

 

思想的には、右翼と言われる三島由紀夫です。

しかし、芸術に右も左もないのだと再確認できます。

それに、何事かのタブーがあるからこそ苦悩があり、そこから物語が生まれるのではないのでしょうか。