上杉謙信と宗教心
前回の清水富美加さんのことでも書いたことですが、
宗教的規範は社会の規範を簡単に乗り越えてしまいます。
戦国武将の上杉謙信も宗教的規範に忠実に生きようとした人物でした。
熱心な仏教徒で、自らのことを毘沙門天の生まれ変わりと信じ込んでいました。
毘沙門天は別名、多聞天とも言われて、仏法を守る四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の1人です。
戦闘神なのです。
井沢元彦の“上杉謙信、一騎打ちあった論”
井沢元彦は『「誤解」の日本史』の中で、
「一騎打ちはあったとするのを通説として考えるべきではないでしょうか」
としています。
その理由の1つとして、先程の信仰心を挙げています。
歴史学者の大多数は、大将が単騎で敵の本陣に切り込むことは、当時の常識からしてもおかしい。したがって、一騎打ちはなかったと結論しているようです。
ところが、上杉謙信に関しては、当時の戦国大名の常識は当てはまらない、と井沢は反論します。
何故なら、彼は自分のことを多聞天の生まれ変わりと信じ込んでいたから。
戦闘神の多聞天ならば「敵の鉄砲や矢は当たらない。俺は敵の攻撃では死ぬことは無い」と狂信していてもおかしくないのではということです。
事実、彼が戦闘で死ぬことはありませんでした。
49歳の時、厠(トイレ)で突然倒れ、その4日後に死亡しました。
脳溢血が死亡原因ではないかと言われています。
使命を終えた謙信を、多聞天が連れ去ったのかもしれません。