女優の清水富美加さんと幸福の科学の関係
福祉の仕事の関係で、色々な人に出会いました。
ある特定の宗教を熱心に信じている人が相当数います。
その人達のパターンを挙げるとこんな感じ。
- 生活保護を受けながら、結構な額の献金をしている人。
- 祈れば治ると(宗教の先生に言われたので)医療にかかりたがらない人。
- 病気が治ったのは信者や先生が祈ってくれたからだと信じ込んでいる人。(本当は医学の進歩が治したのに)
- 婚約して式場まで決めたのに、信じている宗教の先生から「あの人と結婚すると不幸になる。あなたの守護霊がそう言っている」と言われて、突然、婚約破棄した人。本人達は仲が良く何の問題もなかったのに「守護霊」の言葉だけで一方的に破棄したため、裁判沙汰になりました。
清水富美加さんも、出家して事務所との契約を終了したいと言い出す3日前までは、仕事に前向きだったそうです。
たぶん、幸福の科学の大川総裁に「守護霊が今すぐに出家せよとおっしゃっている」などと言われたのでしょう。
彼女を批判している人の言葉を集約すると「社会人として無責任」だというものですが、仕方ないことです。社会の規範と彼女の宗教的規範が違うのだから。
信者2世である彼女は、宗教的規範を優先しただけなのです。無意識に刷り込まれたものに理屈で抗うことは難しい。
カルト宗教はけしからん、と言われています。しかし、宗教自体がカルトなものなので、カルト宗教との言い方は同じ言葉の繰り返しです。
それにしても、女優、清水富美加は惜しい。
あの情緒不安定さが微妙に好きだったのに。
もっと「無責任」な人々は誰か
ところで、批判しているマスコミの中にはもっと「社会人として無責任」な人が多いのではないのでしょうか。
特に「平和憲法」を守るべきだと主張する人の多いこと。
日本国憲法の前文にある、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の現実感のなさは犯罪的です。
「平和を愛する諸国民」がほとんどいないことは現実世界が証明しています。
それでも言い続けるのは、言い続ければ現実もそうなると信じているからでしょう。
「必勝の信念」が勝利をもたらすと信じた人々のように。
まさにカルトです。
日本人は、“言霊教徒”だと作家の井沢元彦が何度も指摘しています。
言霊教徒は言葉に出した(または書かれた言葉)は、現実になると信じ、それに対して現実的な反論をするものを異端者として扱う。
つまり、恐ろしく悪しき現実であればあるほど、口に出すことは危険なので、無視するのです。
口に出すと現実化すると信じているから。逆に言えば口に出さなければそうならないと信じ込んでいる。
自分達も同じカルトであることを自覚しなければ、他人の宗教的行動を批判する資格はないのでは。
ちなみに、私はゆるい言霊教徒仏教派と自覚していますが。