公安6課の部長が“人形使い”と議論する。
草薙素子少佐が所属する公安9課に、自らの意志で侵入した。
草薙少佐に会うために。
ネット空間に誕生した生命体、“人形使い”はプログラムのバグ扱いされるが、引き受けに来た公安6課部長に反論する。
「ここにこうしているのは私自身の意志だ」
「一生命体として、政治的亡命を希望する」
「バカな!単なる自己保存のプログラムに過ぎん」
「それを言うなら、あなた達のDNAも自己保存のプログラムに過ぎない」
「生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ」
「種としての生命は遺伝子という記憶システムを持ち」
「人は、ただ記憶によって個人たりうる」
「たとえ記憶が幻の同意語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ」
「コンピュータの普及が、記憶の外部化を可能にした時」
「あなた達はもっとその意味を、真剣に考えるべきだった」
「詭弁だ!何を語ろうとお前が生命体である証拠は何ひとつない」
「それを証明する事は不可能だ」
「現代の科学は今だに、生命を定義することが出来ないのだから」
「私は情報の海で発生した生命体だ」
これが22年前のアニメ作品なのかと驚き
この頃の押井守監督は、神がかっています。
人形使いのセリフ、
「それを言うなら、あなた達のDNAも自己保存のプログラムに過ぎない」
は衝撃的です。
心情的には否定したくとも、最新科学はまったく同じことを言っています。
この作品が制作されて22年後の現在、科学は格段に進歩しました。
しかし、最新科学においても、「人間とは何か?」と問われる時、DNAに操られた「自己保存のプログラムに過ぎない」事がはっきりするばかりです。
「現代の科学は今だに、生命を定義することが出来ない」のです。
哲学的すぎて頭がクラクラします。ある意味宗教的です。
こんなに深淵な思索を、アニメーションとしてエキサイティングに表現できる押井守は恐ろしい。
やはり天才なのだと再度認識しました。
ただし、天才すぎると誰もが追いつけません。
今の押井守は、すっかり煮詰められて水分の飛んだカレーのような作品しか作れなくなっています。
再度、こんな作品を作って欲しいものです。