以前この漫画について書きました。
最新刊で5巻目になります。
「よく、こんなにまで歪んだ愛情が描けるな」と感心するばかりです。
加虐性性愛(サディズム・マゾヒズム)には傍観者としての興味はあるものの、現実に実行するつもりは全くありません。
ある意味「する勇気」がない。
というよりも
「何故、それが楽しいのか?」と首をかしげます。
とうとう一線を越えて、妄想を現実化するふたり
5巻目に入って、元気くんは妄想通りに八千緑さんに暴力をふるいます。
もちろん、マゾヒストの八千緑さんは殴られることを待っていました。
それが元気くんに期待した“愛”だったからです。
「私、元気くんにだったら壊されてもいいもん」などと喜んでいます。
普通の高校生同士だったら、男女の性行為によって愛し合うはずですが、そんなことでは彼らの大きすぎる性的欲求を満足させられない。
だってサディストとマゾヒストなのだから(表裏一体ですが)。
『真夜中のパラノイアスター』押見修造もすごい
たった25ページほどの短編作品です。
しかし、この作品も『可愛そうにね、元気くん』並に凄まじい。
『血の轍』から読み始めた者には、押見修造のすべての原点がここにあるのではないかと圧倒されました。
ただし、内容は酷いとしか言いようがない(最大級の賛辞です)。
中年男が10代の可憐な少女を殴りつけ、和式便器に叩きつけて、性器を噛みちぎるんですよ。
しかもレイプする訳でもない。
好きな女性に対してレイプならばまだ少しは理解できます(少しですよ。生物としての男の本能ですから)。
しかし、中年男は、ひたすら暴力を振るうだけ。
この辺の異常さは『可愛そうにね、元気くん』に共通するものがあります。
また、画力が今の『血の轍』の作者とは比べようもないほど下手くそです。
(現在の画力レベルが高すぎるのです)
まるで(絵の上手な、いや下手かな)中学生が描いたような絵面です。
しかし、この作品には、売れる前の作者の内なる絶望と加虐性性愛(サディズム・マゾヒズム)が叩きつけられています。
うーむ。押見修造も恐るべしです。
己が描きたいものを描ける人が、優れた漫画家になるのだ痛感しました。