あらすじ
廣田元気は同級生の八千緑七子に恋をしていた。
ただし、普通の恋愛感情ではなく、大人しい彼女を痛めつける妄想を漫画として描くことで性愛を感じていたのだ。
自分でも後ろめたく感じていたのだが、性本能にはあらがえない。また、現実の彼女に対して危害を加える気はないことで罪悪感を隠していた。
そんな中、漫画の一部を八千緑さんに見られてしまう(元気本人は見られてないと判断する)。そして何故か、彼女は笑みをうかべて去っていった。
また、別の同級生の女の子、鷺沢守が、SNSに掲載している八千緑モデルの漫画の作者は廣田元気であることに気づく。
彼女は男女を問わず誰にでも好かれる性格で、容姿も可愛らしく人気があった。
ところが、その鷺沢は内面にとんでもないサディズムを抱えた女の子だったことで3人の歪んだ関係が始まる。
大当たりの作品
この作品。一読して驚愕です。
そして、大当たりの漫画であると言ってもいい。
誰にでもその人特有の性癖がありますが、絶対に知られたくないものの代表とでもいえる、
加虐性愛、サディズムとマゾヒズムを描いています。
好きな女の子を、肉体的に虐待し傷つけるのを妄想するのが性的快感になるとは。
どんな人間にも加虐的な部分はありますが、さすがにここまでの加虐性愛はないでしょう。
普通の男の子である主人公の性癖が歪んでいることから始まるのですが、その変態の元気くんが気の毒になるくらいに2人の少女がサディストなのです。
文学や演劇、映画やドラマなどでは、人間の性癖がおかしければおかしいほど興味がわきます。
そして、それが作品として昇華されていればそれは変態が描いた醜い物ではなく、芸術になるのでしょう。
ホラーは好きでも加虐はいまいち
ホラー(特に映画)好きになったのは中年になってからでした。
10代の頃はホラーの予告を見るだけで、1週間(時には1ヶ月)ぐらいはパニック障害が続いていたくらいです。
今では、心臓が飛び出しそうになるホラーやスプラッタに妙な快感を得るのです。
私の場合、映画監督との勝負に勝ったとの快感です。
「この程度かよ」との優越感にひたるか、
「人体が破壊される映像がおかしい。現実にはこんなことにはならない」との解剖学的な見地からの批判です。
それにしても女の子は恐い
歪んだ性癖の女の子の描写になかなか妙があります。
確かに可愛い女の子または女性は内面腐っている連中が多い(差別発言ではなく、体験的事実)。
外見は可愛く華奢で儚げでも内面は恐ろしい精神を秘めている。
他の雌を追い落として強い雄を手に入れて、自分の遺伝子を未来につなげようとする本能からでしょうか。
恐ろしい正体だからこそ女性の価値があるのです。
また、女の子が大人になるのが早いのはそこにある。
男が(元気くんのように)いつまでも幼いのは子供のままの無邪気さからかもしれません。
ところで、八千緑さんが大食いなのは、彼女が性欲旺盛であることを明らかに表現しているのでしょうね。