萩原朔太郎は狂気を制御できた人
まだ桜は咲いていない時期です。
しかし、木々を見ればもう準備している様子。
こんな時には、心がざわざわします。
気分が安定しないときには、より不安定な人を見ると安心するようです。
萩原朔太郎の詩に「櫻(桜の旧字体)」があります。
櫻
櫻のしたに人あまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも櫻の木の下に立ちてみたれども
わがこころはつめたくして
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。
春先になるとこの詩を読み返して、メランコリックになるのが習慣なのです。
朔太郎は心を病んでいたと思い込んでいました。
作品はもちろん、写真からもそんな気配がしていたからです。
長女の萩原葉子が書いた『父・萩原朔太郎』からすると、病弱で孤独な人であったけれども、狂気に陥っていたわけではないようです。
狂死した中原中也とは違うようです。
ある意味、狂気をコントロールして、創作できたのでしょう。
ホラー作品としての萩原朔太郎の詩
彼の詩は、一種のホラー作品でした。
「蛙の死」はその代表作です。
教科書に載っていない詩ほど、インパクトがあります。
蛙の死
蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。
無邪気さの中の猟奇感。そして謎の「丘の上に人が立つてゐる」情景。
ホラーそのものです。
子供の時にこんな詩を読んでおきたかった。