日中関係は歴史によく学ぶべきです。
中国大陸において政権を取った国家は、常に中華思想を持っていました。
中華思想とは、自分たちが世界の中心(中華)と考えることです。
その結果、周辺の国は“化外の地”として、文化や思想の面で劣っている野蛮人として扱います。いや人ですらない。
北方は“北狄”(ほくてき)狄にはけものへんがあります。つまり、北の獣の意味。
南方は“南蠻”(なんばん)蠻はむしへん。虫あつかいです。
東方は“東夷”(とうい)夷は未開人。
西方は“西戎”(せいじゅう)戎も夷と同じ、未開人の意。
日本人は東夷です。正確には倭人ですが、背の低い人間を意味します。倭も蔑称です。
アジアの歴史では、中華思想を持った国に周辺国が朝貢していました。
朝貢とは、文化・思想的に優れた中華文明を称する国を慕い、貢物を持参して訪れることです。完全な主従関係を結ぶわけです。
この考え方は、清が1912年に滅ぶまで続きました。現在の中華人民共和国になり表向きは近代国家をよそおっていますが、本質的な民族のDNAは簡単には変わりません。
日本は早々とこの関係を解消しています。そのことは、日本の王である天皇家が“皇”の字を使っていることからはっきりとわかります。
“皇”の字は中華文明の皇帝以外使用してはならないからです。
対等の国であることを強調した我が国の先祖は、“天皇”を自国の王として以来中華文明に朝貢することはなかったのです。
日経新聞の記者は歴史を知らないのか、陛下が中国を訪れた意味がわかっていません。
「戦後の日中関係が最も輝いた瞬間はいつかと問われれば、多くの人が1992年10月23日と答えるのではないだろうか。天皇陛下が史上初めて中国の地を踏まれたその日である。」
などと書いていますが、あの国からすれば中国を慕ってわざわざ日本から王が出向いてきたとしか捉えていないのです。
習近平氏が陛下と再会する日
風見鶏 コラム(経済・政治)
2017/12/31 2:00日本経済新聞 電子版戦後の日中関係が最も輝いた瞬間はいつかと問われれば、多くの人が1992年10月23日と答えるのではないだろうか。天皇陛下が史上初めて中国の地を踏まれたその日である。
人民解放軍が学生らの民主化運動を鎮圧した天安門事件から、まだ3年しかたっていなかった。
当時の記憶が生々しく残っていただけに、訪中がすんなり決まらなかったのは言うまでもない。閣議決定に向けた調整が大詰めを迎えた92年夏、首相官邸の周りは右翼団体の街宣車が押し寄せ、騒然とした空気に包まれていた。
当時の首相は宮沢喜一氏、官房長官は加藤紘一氏である。ふたりとも自民党内のハト派とされる「宏池会」の出身だった。
党内も賛否が割れた天皇訪中を実現するために、宮沢氏はどんな役割を果たしたのか。加藤氏に尋ねたことがある。
「宮沢さんは関係ないんですよ。『加藤君、よろしくね』みたいな感じ。それで軽井沢(の別荘)に行っちゃった」。加藤氏が笑いながら答えたのを覚えている。宮沢氏は陛下の訪中に、それほど熱心ではなかったようだ。
では、いちばん積極的だったのはだれか。加藤氏の口から出たのは意外な名前だった。ミッチーの愛称で親しまれた自民党の渡辺美智雄氏である。
タカ派の議員集団「青嵐会」で活動した渡辺氏は、中国に厳しい政治家とみられていた。なのに、91年秋に発足した宮沢内閣で副総理・外相に就くなり、陛下の訪中にまい進する。92年1月には自ら北京に乗り込み、中国の銭其シン外相と直談判にのぞんだ。
「ミッチーが中国に行って(天皇訪中を)約束してきた」。加藤氏は渡辺氏がいきなり持ち込んだ難題に戸惑ったという。
もともと天皇訪中を切望していたのは中国である。
よこしまな理由がなかったといえばうそになる。「西側の対中制裁を破る最良の突破口が日本だった」。銭其シン氏は回顧録にこう記した。天皇訪中で日中友好を世界に印象づけ、天安門事件後に西側が築いた対中包囲網を断ち切るねらいがあったのは明らかだ。
中国は対日政策を考えるうえで、一貫して天皇を重視してきた。
「中日関係30年」という中国側の文献には「日本国民の天皇支持率は80%以上で、内閣支持率をはるかに上回る」とある。くるくる変わる首相より、天皇に近づいた方が日本人の対中感情に働きかけやすい。そんな本音がにじむ。
中国の習近平国家副主席と握手される天皇陛下(2009年12月15日午前、皇居・宮殿「竹の間」)
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中国の習近平国家副主席と握手される天皇陛下(2009年12月15日午前、皇居・宮殿「竹の間」)習近平(シー・ジンピン)国家主席も同じ考えを引き継いだのだろう。国家副主席だった2009年12月に来日した際、陛下との会見にこだわった。外国賓客が天皇に会う場合、1カ月以上前に要請するルールがある。それを破った「特例会見」は物議をかもした。
かえって日本人の対中感情を悪くしたが、習氏の目には陛下のお人柄がどう映ったのだろうか。
17年前の訪中を振り返られた陛下に、習氏は次のように述べている。「陛下が歓迎に対して車の窓を開けて手を振られたのは、良い思い出となっています」。
そう、中国人は実によく天皇訪中を覚えている。天安門事件で孤立した中国に足を運ばれ、笑顔を振りまかれた陛下に悪い印象を持った中国人はいない。習氏もそのひとりなのだ。
天皇陛下は19年4月30日に退位される。その前に習氏が国家主席として初めて来日し、陛下との再会を果たす。それが実現すれば、92年の天皇訪中に並ぶ日中関係の大きな節目になるはずである。
(中国総局長 高橋哲史)