寺山修司「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
日本は平和な国だ。
それなのに、日本国民は昔から他国と比較して、自虐的なことを言いたがる。
ある意味余裕がある証拠なのかも。
寺山修司の短歌に
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
との歌がある。
数年前になるが、台湾人であった金美齢が、日本に帰化する前、この短歌を批判していた。
平和で治安が良く、自由な発言も許された日本国にいながら、「身捨つるほどの祖国はありや」との言い方は大げさで甘すぎる。安心に普通に暮らせる祖国を渇望しても、叶えられない人々がどれほど大勢いるか。
こんな内容だったと記憶している。
そう言われれば確かにそうだ。
金美齢の気持ちは分かるが、まあまあそんなにムキにならなくても、と当時は受けとめていた。
しかし、その後の我が国を取り巻く世界情勢の変化を見ていると、ムキにならなければ「身捨つるほどの祖国」すら今後、維持できないことを肌で感じるようになった。
2011年ノルウェー連続テロ事件から5年
5年前の2011年7月、ノルウェーでテロ事件があった。
犯人は、アンネシュ・ベーリング・ブレイビクである。
77人を殺害し、禁錮21年の有罪判決を受けて服役中だ。
210年ではない。21年である。
この男は、2014年2月に刑務所での待遇改善を求めた。
ゲーム機を「プレイステーション2」から、より新しい「プレイステーション3」に変更するよう要求したとか。
ノルウェー人には、怒りや報復などの感情が無いのかと訝ったが、どうもそうではなさそうだ。
文明国に住む、文明人らしく振る舞うことを社会が強制しているようだ。
「ブレイビクが否定した今のノルウェーを、私たちは維持する。ノルウェーは変わらない。憎しみの道を辿らず、憎しみには負けない。憎悪や差別感情を拡散させないために、後世に歴史を伝えなければいけない」
のが 国民の総意らしいのだが、綺麗事過ぎる。本心から言っているとすれば、それは普通の感情を持った人間ではない。
ある意味、2重性があるのかもしれない。
世界の武器輸出額では、2015年のデータによると第16位にランキングしている。
かなり上位だ。
同じ高福祉国家のスウェーデンが、一つ上の第15位にいるのにも驚く。
他国の人間が殺し合うのは別に構わないのかも。特に発展途上国の人間が。
やはり死刑を廃止して、高福祉を実現している「文明国」は「大人」なのだ。
瀬戸内寂聴さん 死刑廃止を訴える
今月6日に、福井市内で行われた、日本弁護士連合会(日弁連)の死刑制度に関するシンポジウムにビデオメッセージを寄せた。
この中で瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。
らしい。
「家族が殺されても我慢するのが、文明国だ。ばかども」とか、
もっともっと言って欲しい。
今回の騒動をどのように判断するかは、日本国民一人ひとりである。