差別用語が使えない世の中だ。
別に使いたいわけではない。しかし、過去の文学や映画などでは、
その時点では差別用語になっていないものが多い。
三島由紀夫の小説が好きなのだが、この人の作品などは、黒く塗らなくてはいけなくなる。
『真夏の死』では、
『真夏の死』(まなつのし)は、三島由紀夫の短編小説(作者・三島はノヴェレットとしている)。伊豆の海岸で二人の幼子を失うという理不尽な悲劇から主人公がいかなる衝撃を受け、時の経過によってこれから癒え、癒えきったのちのおそるべき空虚から、いかにして再び宿命の到来を要請するかという主題から、人間と宿命の関係を描いている
多分30歳代くらいの女性を、結婚していないからといって、
老嬢と表現している。酷い。しかし、この作品の当時、昭和20年代では妥当な言葉である。
今でこそ、40歳代いや50歳代の女性でも綺麗な人が多いが、当時は、ほとんどが婆さんである。食生活が貧相とか電化製品が無いとか色々な理由があるのだ。
映画『炎上』、原作は『金閣寺』では、
仲代達矢演ずる足の不自由な青年が、主人公の吃音の青年に対して、
「カ◯ワ」「カタ◯」と連呼している。
TVでは絶対に放映不可だろう。しかし、当時は普通に使用していた言葉。
映画『座頭市』。メク◯も使用不可
メ◯ラもだめだ。しかし、江戸時代のやくざ者が「目の不自由な人」などと言うだろうか。不自然すぎる。
多分言葉狩りをする人々は、差別用語が無ければ、差別が減少すると考えているのだろうが、そんなことは無い。
学校内のイジメを無くそうとして、表面だけ繕ってみても、SNS上でイジメが行われる。
はっきりと言えば、障碍者同士でも差別がある。
当然である。彼らも人間なのだから、差別する感情があるのだ。
これは、福祉の仕事をした人ならば誰もが知っていることだ。
四肢不自由な乙武洋匡さんが不倫を繰り返し離婚されたが、障碍者であっても健常者と同じように、女性に誠実でない人がいるだけのことだ。
映画『スナッチ』(2000年イギリス)のこと
Snatch (スナッチ) Japanese trailer
「snatch」とは「ひったくる」こと。
主演はジェイソン・ステイサムだが、
パイキーを演ずるブラッド・ピットの存在感とハイテンション感がいい。
ところで、「パイキー」って何だ?
いわゆる、ジプシーのことだ。
この言葉も今は差別用語。使用できるのは「ロマ」である。
Pikey (パイキー)とは、差別的意図を含むスラングで、イギリスでは主に旅行者、ジプシー(放浪人)、または社会的身分の低い人々の事を指す。
ちなみに、ロマは、いわゆるアーリア人種である。
アーリア人種といえば、ナチス・ドイツが自らをアーリア人であるとして、ユダヤ人を迫害し、スラブ民族を奴隷化しようとしたことで有名である。
ナチスはロマ(当時はジプシー)も虐殺した。
ヒトラーもナチスの幹部もアーリア人種であることを知っていたが、虐殺は実行したのだ。
ブラッド・ピットはアーリア人顔なので、映画ではパイキー役だったのだろう。
この映画はコメディ映画であるけれど、差別の現状と差別されている人々の実状を露骨に表現することで、イギリスの裏社会を見事に描いているのだ。
過去の差別用語を強引に使用不可にするのは、作品全体のバランスを大きく崩すことになる。
文学や映画が伏せ字だらけになってしまう。
最低その当時、問題なかった言葉は狩らないようにして欲しい。
歴史小説や時代劇などは、当時の背景の意味がわからなくなる。
致命的な問題だ。
差別の歴史もわからなくなり、結局、誰も何も知らない事になり、同じことの繰り返しだ。
言葉があるからではなく、人が人を差別する生き物だから。それが真実。
大事MANブラザーズバンドの「それが大事」みたいな文章になった。